ドラえもん

はしがきのまとめ<本当は怖いドラえもん>

今回はこの場を借りて本記事『本当は怖いドラえもん』において本当の意味で読める記事をと、今までの記事をまとめた末に本記事を掲載する運びとなりました。そこで当記事に連なるいわゆる前の記事をお送りして本記事に移ることとします。
 
はしがきと物語におけるドラえもんの歴史
 
先の記事と繰り返しながらも、そもそもドラえもんのお話の主人公ののび太くんに様々な問題が降りかかり、そのたびにドラえもんに頼み込んではドラえもんが出すひみつ道具の少しふしぎな力と一応の創意工夫で、時には悪戦苦闘しながらも解決をしていくといったものだった。
それに加え初期のストーリー展開を鑑みて、のび太くんが本来悲惨な運命をたどるところを徐々に好転させていくものであった。
そもそもドラえもんの連載は、掲載された小学館の学習雑誌(小学一年生から四年生)の性質上1年完結の展開で、年度末に一応の最終回は各雑誌に記載され、ひとまずの区切りとしたのだが、その後今までのお話が記載された単行本も発売されドラえもんの人気も徐々に高まるにつれ、それから当時の読者の反響から連載を続けられることに相成った。
それでもまた(当時として)本当の意味での最終回『さようならドラえもん』が発表され、これで本当の意味での区切りになるはずだった。
その上で新しい作品で新しい物語を創ろうとしたのだが、どの作品もドラえもんとはさほど変わらずそれら派生作品、中にはポコニャン等ヒット作品もあったが、やはりドラえもんほどの盛り上がりには至らなかった感もあり、そもそもドラえもん以前に活躍した『オバケのQ太郎』から受け継いだ日常の少しふしぎなお話を本当の意味で継承するのはドラえもん以外にないといった結論に至り、以降の『帰ってきたドラえもん』をはじめとしてドラえもんも連載をまた再開する運びとなった。こうしてドラえもんを中心として藤子不二雄(当時)の少しふしぎなお話が続けられる、はずだった。
そのドラえもんのすこしふしぎなお話は、のび太くんがドラえもんのひみつ道具を使いいつも通りの様々な問題を解決しようとするのはいいけれど、ストーリーの幅が広がるにつれ、その問題解決からの悪乗りでかえって手痛いしっぺ返しを食らうお話がちらほらと発表されることと相成った。
これについては6巻以前でも、活躍をしようとしてもかえって失敗するお話はあったが、これは先のオバQが活躍をしようとしてかえって失敗するいわゆるズッコケオチからつながるものであったが、オバQのそれはあくまで活躍をしようとしての失敗で、ドラえもんの場合は掲載している学習雑誌のこともあり、作者の藤子F先生も何か子供のためになるお話を描いてみようといった、悪く言えばお節介の虫が騒いで読者に対するいましめや教訓、しつけ話、とんち話などを中期辺りから描くようになる。しかしどういうわけかそれらのいましめにいたる問題を起こすのがのび太くん一人に集中しがちとなり、こらしめと称して責められていくのも後期になってちらほらと描かれたりもした。かくいう編者もそれらのお話にごもっともと共感しながらもどこか心に引っ掛かる違和感を覚えずにはいられなかった。
そこでもう一度中期辺りの事情を思い起こせば、それらに至るまでの心当たりは思い浮かべることがいくつもある。そもそもストーリーを製作する上での作者の藤子F先生の心情すなわち気持ちについては子供たちのためにユメを送ろうといったことに変わりはなかったとことわっておいて、
まずはいわゆる最終回と連載再開にこぎつけられたのは先に述べたこととして、その後でドラえもんのテレビアニメ化を経た劇場版アニメ制作に伴ってのいわゆる大長編。これはドラえもんやのび太くん、そして仲間たちがふしぎ世界を大冒険していくといった展開だが、本来いじめっ子のガキ大将たるジャイアンとスネ夫がここでは頼れる仲間と相成っていて、それで彼らに対する情も増し、反比例的にのび太くんが問題児的な要素を受けていきがちとなった。
次に中期あたりから準レギュラーになった出木杉くんの存在だけど、彼については後でじっくりと述べたいと思う。
そして決め手になったかもしれないが、長年仕事を共にしていた安孫子元雄先生、すなわち藤子A先生との作品の利権がらみからのコンピ解消もあり、それに伴ったであろう体調の変化もあった。それが内面的な考え方にも影響を受けてしまったといった感があった。
それらの要素から次第にドラえもんにおけるイマシメ話が頻繫かつ深刻化していったことだろう。もともと読者へのイマシメが次第にのび太くんへのイマシメへと移ってしまった具合に。
その結果が日常でのお話においてのび太くんが活躍するどころかかえって失敗するお話、すなわち返り討ちがもっぱらといったお話がもっぱらとなり、またいくらかの読者が「ダメで悪い子」のイメージでのび太くんを見るようになった。
加えて藤子F先生もそれらのお話は必ずしも本意ではなかったと洩らし、それでいてそのジレンマに終わりまで抜け出せなかったきらいがあった。
今でこそ新旧のお話を並列して楽しんでみることができるが、最近になって先生の作品集が発売され、その年代別に読み続けていくうちにそういったある意味暗澹とした思いが呼び起こされる。
そういったいきさつから、いささかひねくれながらもドラえもんのストーリーに関する問題点、ことに主人公ののび太くんの行動と言ってしまえば扱いを中心に挙げつつ、作品に関するレビューをお送りする運びとなったわけである。

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僕らの隠れ家ライフ:小さいことはいいことなのか<本当は怖いドラえもん>

今では遊びの形態も多用になり一概には言えないけれど、ドラえもん連載当時、子供のころ遊ぶ場所がなくてもどかしい想いをしていた人もおられることでしょう。その遊び場所、遊ぶスペースがないかという想いが「小さくなれば遊ぶスペースが得られる」といったお話を産んだ。そこでこの2本を紹介し、それに関する問題もまた述べたい。
 
『夢の町ノビタランド(コミックス3巻)』
その日も外で遊ぶにも場所がなかなか見つからないのび太くんたち。そこでミニチュア製造カメラで野比家の裏庭に自分たちの街をつくってそこを遊び場所にしようとしたが。物置を作るためにママによってミニチュアの町が取っ払われてしまったそうな。
 
『ミニハウスでさわやかな夏(コミックス21巻)』
この日もスネ夫の別荘の話をうらやましがるのび太くん。見かねたドラえもんがミニハウスの別荘を出してしずかちゃんを誘って一緒に別荘暮らしを楽しんだが、途中スネ夫たちに横取りされる。そのスネ夫とジャイアンもいざ別荘で楽しもうとしたが、ゴキブリに襲われるは、ガリバートンネルでさらに小さくなるはで散々な目にあったそうな。
 
このように小さくなって遊びや生活等のスペースを確保しようとする試みは藤子F先生ならずとも思うところ。しかし小さいことは小さいなりに不便なものもあり。それが先述2本のオチになったかなと思う。これは教訓云々よりも純粋な笑い話ととらえて差し支えないけれど。
ただでさえ狭い日本で遊びや生活等の場所を確保できないかと試みては、いろいろな困難でどうにもできないというオチも、ある程度のF先生の嘆きとも受け止める。それでも何とか工夫して生活の場を作ろうとする人々の努力にもつながったとひとまずは信じたい。

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戦争を知っているドラえもん:続・リアル戦争ごっこ<本当は怖いドラえもん>

ドラえもんと戦争を交えたお話の中で、その戦争に登場した戦艦やら戦車や戦闘機やらとそれらの機械類に憧れた人もおられた人もおられたでしょう。かくいう藤子F先生もその例外ではあり得なく、実際のび太くんたちに戦艦や戦闘機を操縦させたお話を描いたものでした。それが次のお話ということで。
 
『ラジコン大海戦(コミックス14巻)』
苦労して小遣いを貯めたラジコンボートを、スネ夫の戦艦大和とぶつかって沈められた。謝ろうともせずに自慢ばかりをするスネ夫に、その大和を乗っ取って仕返しをしたのび太くんたちだったが、それがスネ夫のいとこのスネ吉を交えたラジコンのゼロ戦にての大海戦にもつれ込んだ。
やがて大和を沈められたのち小型潜水艦でスネ夫たちのボートを撃沈して終わったけれど、前回の説明があるので詳細はそちらに譲ることとして。
 
『大空中戦(コミックス12巻)』
ある日部屋から飛んできた小さな戦闘機、そこから降りてきたドラえもんから、ミニ飛行機のことを教えられ、みんなを交えて飛行機を乗り回すことになったが、聞きつけたジャイアンに横取りされてみんな撃墜されてしまったそうな。
その後ジャイアンは東京タワーにまでたどり着き、てっぺんで休んでいるうち飛行機を落っことし、帰れなくしまったのがオチだけど。新アニメ版では歴史上の女性パイロットの事項にかこつけてしずかちゃんを中心とした飛行機レースに置き換えられた。こういったのも現代の風潮といえばやむを得なかったかもしれない。
 
こういった飛行機や戦艦を乗り回してある意味戦争気分を味わうのは、藤子F先生としてもユメだったことだろう。これらも現代ではラジコンの技術もある程度発達し船はともかく飛行機に関してはある程度の訓練は必要ながら再現でき、あるいはテレビゲーム等を通じてある程度の戦争ごっこもかなえられるかもしれない。
たしかに戦争と平和のことも学ばなければいけないことだろうけれど。戦艦や戦闘機に対するロマンも味わってみる価値もあるだろう。

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STAND BY MEドラえもん2、ですか

さてみなさん、かつてドラえもんのファンを中心に、遠き日の思い出とともに感動に包まれた名作『STAND BY MEドラえもん』の続編が来年に公開される運びとなりました。
主な内容はこれまた名作『おばあちゃんのおもいで』をベースに制作されることです。幼い日の思い出とともにのび太くんとドラえもんがおばあちゃんにもう一度会いたいといった想いとともに描かれる古き良き町の情景をめぐる様はまさに我々の遠き日の思い出を呼び起こすことでもありましょう。ともかくも来年、映画館にてその思い出と感動に浸るのもいいかもしれませんね。

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本当の面白さとは<本当は怖いドラえもん>

言うまでもなくドラえもんのキャッチコピー、というより触れ込みは「日本一のおもしろコミック」といったものだった。当然ながらも小学館にとってはもはや看板タイトルにもなっており、掲載雑誌の編集部としても大々的に売り込もうとしているのはこの文句をとっても容易に理解できる。今回もあえてその文句について意見を述べたい。
今更述べるまでもなく、ドラえもんの作品はどれをとっても面白いものがあり、つまらないものはないともいってもいい。しかしながら中にはストーリー展開上笑えないものもあるのも述べたいところ。すなわちブラックユーモアの要素もあって、それらを読み返すうちにかえって考えさせられるものもある。今回はそれらブラックユーモア、あるいはそれに近いお話を紹介して本題に入りたい。
 
『わらってくらそう(ゲラゲライヤホン・コミックス8巻)』
その日何か面白い話はないのかと持ち出したのび太くんだが、早々面白いお話などはないとドラえもんも返すも、その代わりに“ゲラゲライヤホン”なる道具を出して、それを耳につけると聞こえるものすべてが笑い話に聞こえてきて文字通り笑えてしまうものだった。
ところがいざ使ってみると、ママのお説教でも笑ってしまいさらに怒られてしまい、ペットが死んで悲しんでいるしずかちゃんには嫌われてしまい、挙句路ですっ転んだジャイアンにはとっちめられてしまい散々な目に遭ってしまったそうな。
 
『マンガ家ジャイ子(マジックおなか・コミックス24巻)』
ある日ジャイアンが妹ジャイ子のマンガを読ませて、少しでも笑わなかったらぶん殴られるといったことが相次いでいたのに対し、ドラえもんも“マジックおなか”なる道具で切り抜けようとしたのだが、ジャイ子の方も笑えない漫画が描けないなら、今度は泣ける哀しい漫画を描こうとしたのでそれを読んでいるうちに道具を使われてしまい笑ってしまい、はたしてジャイアンのさらなるイカリを買ってしまったそうな。
 
ドラえもんのお話の基本はあくまでギャグ、すなわちズッコケを交えた笑い話で、後にとんちの要素もまじわったけれど、ともかく面白くて楽しめる(それでいてためにもなる)お話になるように作者の藤子F先生も心を砕いたのは述べるまでもない。
先のお話、ことに前者に限って言うなれば、人間笑って暮らせればいいというわけにはやはりいえない。笑いたい時にはやはり笑い、怒れる時には怒り、泣きたい時には泣くといった、時には感情に従うことも大切である。つまりは笑ってばかりではやはりダメなのだろうというのが本当に言いたいことだろうけれど。やはり最後はギャグとズッコケでオチてしまうからこれは始末に負えないともいえる。

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ドラえもんとゆかいな仲間たちザ・ドラえもんズ<本当は怖いドラえもん>

今回はドラえもんの派生作品ということで、ザ・ドラえもんズについて(当ブログでも)述べたいと思う。
そのドラえもんズについては、95年ごろにドラえもん誕生からドラえもんの同形ロボットとして登場し、アメリカのドラ・ザ・キッド、中国の王ドラ、ロシアのドラニコフ、ブラジルのドラリーニョ、スペインのエル・マタドーラと、世界各地の特色を生かした造形がウリとなっていた。
その後人気を生んでか、本家のドラえもんと調子を合わせてアニメやマンガを中心にした彼らの活躍が描かれていった。これもまた、ある程度停滞しがちなドラえもんの人気に拍車をかけようとした小学館や藤子プロの想いもまたこめられたものだろうけれど。
その後90年代末から2000年代半ばまでひとまずの人気を博していたが、いわゆる今の新アニメ版のリリースを境に彼らの活躍もまた終わったかに見えた。
たしかに今のアニメで彼らの活躍が見られないのは一ファンとしては寂しく思うことで、作品の製作系統の違いで片付けられるのもやはり情がないのではないのかと思う。
もしも新たに活躍の場を得るのであれば、原作アニメでも描かれた“友情テレカ”なる通信カードから活用し、あらゆる問題を、カードを使って切り抜ける、というのもありきたりのカードバトルになりかねない。たしかにドラえもんズでも冒険に伴ってのバトルもあるけれど、実際バトルに関しては関連性が薄いかもしれない。
もう一つお節介ながらも提案をするに、ドラえもんをはじめ多くの藤子F作品には「主人公とふしぎな友だち、そして仲間たち」といった構成が成り立っている。そういえばある程度のキャラクターも描かれていることから、それらの活躍も考えてもいいかもしれない。その点を含めてもまた活躍を見せてもいいだろうともうけれど。
ともかくもこのドラえもんズ、今になってといえば失礼かもしれないけれど、せっかくファンの間でも盛り上げてくれるのだから、今のスタッフのみなさんもご一考してほしいとは思うけれど。

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僕らの隠れ家ライフ:キャンプは無人島で<本当は怖いドラえもん>

みなさまの中には海でのレジャー。ことに船でのクルージング。転じてどこかの島でのバカンスを楽しまれた方もおられただろうが。その島でのバカンス。ことに無人島で暮らすといったシチュエーションについて述べることにする。まずはこのお話から。
 
『のび太漂流記』
ある日のび太くんが無人島で生活をしようとするため、材料としてワリバシを集めんとするも、らちが明かないとドラえもんから風船イカダを借りてからいざ大海原に繰り出すことになる。しかしその後は影ながらのドラえもんの手助けを受けて、たどり着いた島での生活を何とか送ったものの、やがて日が暮れて家が恋しくなり結局一晩で帰ることとなったそうな。
 
『ロビンソンクルーゾーセット』
ある日しずかちゃんと無人島に行きたいと持ち掛けるのび太くんに、ひとまずドラえもんも『ロビンソンクルーソーセット』を出してしずかちゃんと一緒にボートで漂流体験の後に無人島での生活を送ることになった。ひとまずの満足を送ることになったのだが、レンタルボートの使用料超過を咎められママに叱られてしまったそうな。
 
両作とも最後のズッコケでしめられてしまったけれど、最初のくだりをかんがみ、海で船に繰り出すなら無人島で冒険を、といったのが作者の藤子F先生のユメなのだろう。しかしこれもかつての子供の読者の中でそのユメをかなえた方、つまりは無人島で島小屋やらキャンプ場やらを造り、そこで生活をする方もおられたことだろう。そういえばある番組では無人島をいろいろと開発していくシチュエーションもあったか。
また同じく冒険といえば、大長編でも南海大冒険やら宝島やらと派生したことも述べるまでもない。
そういえば前者の漂流記から派生した『無人島に家出』のお話がある。あれは冒頭パパとママにこっぴどく叱られてから、止めようとするドラえもんを気絶させてから道具を借り、無人島へと家出をしてそこで10年間過ごしたといったものだった。これも『バイバイン』の栗まんじゅうと同じくネットで議論されたことだろうけれど、言うなればこれもデフォルメかシャレの類だろう。
そもそも一晩でへこたれるのび太くんが、70年代まで東南アジアで潜伏していた旧日本兵の人よろしく、まず10年間暮らせるかどうかは疑わしいことだろうし、当時の情勢を考えても日本やアジアの無人島といってもやはり知れているものなので10年間も発見されないのもいかがなものかと思えてしまう。
そして最後のタイムふろしきで元に戻ったくだりも、結局は栗まんじゅうを宇宙に飛ばしたくだりと同じく「なかったことにする」といったものだろう。
とまあ話が大きくそれてしまったけれど。海において子供心からの冒険心を満たすということでも、離島でのレジャーも楽しめるかもしれない。

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役回りの本末転倒:結局何と戦ったつもりだったのか<本当は怖いドラえもん>

ドラえもんのお話の大半は、のび太くんに降りかかる様々な問題、ことに何かとジャイアンやスネ夫にいじめられ、その仕返しのためドラえもんのひみつ道具の力を借りて対処するといったシチュエーションがある。それが派生して羽目を外してはズッコケるといったオチに転ぶのもしばしば、とくに中後期あたりから顕著になったのは述べるまでもない。
そのズッコケの一環、その羽目を外したのび太くんをドラえもんあたりが“こらしめる”といったくだりがある。その“こらしめる”を素直に解釈すれば「ワルいことをしたのび太くんをやっつける」というもっともらしい答えに行き付くのだが。そんな調子がしばしば現れる中、こともあろうに敵役であるはずのジャイアンとスネ夫もドラえもんと調子を合わせてのび太くんへの“こらしめ”に加わってしまうといった。すなわち「役回りがあべこべになってしまった」事態になったのだ。
ここで思いだされるのが短編の『イヤなイヤなイヤな奴』で船内での和のために憎まれ役を担った男。これも社会のために必要だと嘯いて(もっともらしく主張して)いたのだが。その意味でものび太くんもみんなのためににくまれ役を演じ(させられ)たのだということだ。
しかしこういったシチュエーションも初中期あたりは本来ジャイアンが演じたのだということも述べたいところ。のび太くんがひみつ道具で問題を解決したかと思えばジャイアンが横取りしては失敗をするといったのもそのあたりでは少なくはない。それが様々ないきさつがあってその役回りがのび太くんへと転がったといったところか。
それが成り行き上だんだんとエスカレートして、しまいには『足あとスタンプ』や『町内突破大作戦』に見られるように、のび太くんをこらしめること自体が目的となったお話も80年代終わりにはしばしば現れたのだ。
これについても藤子F先生は何を意図していたのか、結局は少し苦しい言い訳ながらも「教訓というよりも実験みたいなもの」と述べたことで、つまりはあまり考えていなかったのが現状である。
 
しかしあえて問いたい。たしかに『イヤな奴』に関して全体の和のための必要悪が必要なのも分かるけれど、これも言ってしまえば「読者のこどもたちのためのイケニエ」というほかはない。
たしかに「のび太のようにならないように、僕も私も気を付けよう」と感じる人も、中には「のび太ももうちょっと気を付ければいいのに」と思う人もいるだろう。しかし中には「のび太がまたやられたんだって、自業自得さ、いい気味だ」と思う不届きな人もいただろう。それこそは一番の当て外れだと思う。そもそもそんな意図で先生も描いたつもりじゃなく。これも時の流れとともにこう描いちゃったといえる。
そんなジレンマを知らずに抱えてしまい、やがては身を持ち崩し、作品そのものにも影響を及ぼすことにもなったのだろうか。

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僕らの隠れ家ライフ:森はともだち<本当は怖いドラえもん>

さてみなさんの中に、旧き良きアメリカのテレビドラマを中心とした、木の上に小屋を建てた隠れ家に憧れた方もおられ、実際それを建てた方もおられたことでしょう。今回それに関連して、森や林、それに関連した隠れ家のお話を述べたい。
まずお話の基本となるのは樹木の改造、その前の日曜大工というのがある。それらは木材を組んで小屋を創ったりそこで生活とまではいかないまでも寝起きや休息ができれば。そのための“隠れ家”を造るというのがある。それについて「大工道具や釘等を使わずに、植物をのものを改造して隠れ家を造る」といったコンセプトでお話を進めるというものだ。そこで挙げられるのがこれらのお話ということで。
 
『森は生きている』
ある日裏山の森でのひと時を過ごすのび太くんのために『心の土』を出して、本当に裏山の森と友だちになったが、とまあ先の記事と重複するので紹介はここまでとして、たしかに後半、いわゆるとんち話に転がって事実上ケチがついてしまったが、これも使いようによっては森や木々もいい遊び相手になってくれたはずだから。
 
『のび太の大魔境』(一部抜粋)
まだ見ぬアフリカの大魔境を求めて冒険を始めるドラえもんたちが、昼食と休憩のために『植物改造エキス』を使って周りの木から「食べ物の実」を生やしたり、樹木の枝をテーブル状に巻き付かせて展望台にしたりとその日の昼を過ごしたのだった
その植物改造エキス。これはいわゆるおとぎ話での食べ物がなる木のオマージュながら、未来の世界の技術で「ヤドリギ(別の木に寄生して生える植物)や接ぎ木の技術を応用し、ある程度の食べ物を調理できる機能を持った植物型の道具といったものや、実際に植物を改造するといったものもある。これもまた植物の機能を阻害せず、というにはあやしいけれど。ともかくこれも人間の役に立てる機能を供えさせるものでもある。
 
ある意味それこそがドラえもんにて描きたかった、木の上での“隠れ家”の醍醐味ではないだろうか。木の上での見晴らしを楽しみつつひと時を過ごすという子供の頃に抱いた、否大人になっても抱き続けているはずのユメを、人によっては将来になって叶えたことだろう。そうでなくてもその人たちのユメにも乗っかっていくのも決して悪くはないと思う。あるいは郊外の森林でのアトラクション施設もそのユメを味わうことだってある。
こういった森の木々とともにあるユメ、それはひとえに失われつつあった自然とのふれ合いにもつながることだろう。

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モノ社会の宿業:出ししぶりの本音と建前<本当は怖いドラえもん>

さて今回は先の記事を少し読み物としての形を整え、タイトルも少しきれいに仕上げて述べることといたします。
 
繰り返しつつもあらためてドラえもんのお話の流れを述べるに、何かと困難に巻き込まれるのび太くんは、ドラえもんのもとに駆け込み、出してくれるひみつ道具とのび太くんの創意工夫もあり時にはしくじるが様々な困難を解決していくというものである。
しかし時々、その頼みをドラえもんが突っぱねることがある。それは問題解決に取り掛かる際のさらに楽をしようとしての突っぱねから、はじめからあれこれと理由をつけて突っぱねることもある。
これに際しては前者を中心に「ことの理非を教え諭している」のと、毎度揶揄するようで恐縮ながら、横山センセイの言から「あまり安易に頼みごとをするとかえって突っぱねられるのが当たり前」ということにもなるが。
今回はそういったいわゆる“出ししぶり”についていつも通りのヒネくれた視点で述べたい。
まず基本事項としては漫才でいう「ボケとツッコミ」といったシチュエーションだろう。たしかにこれらはまずのび太くんの“無茶”や“甘え”を戒めるというのもごもっともながら。主に後者を中心に結局出すことにして問題解決に動くのがもっぱらで、そのよう意味でも物語的にデフォルメ化したのが本論にての「ボケとツッコミ」の意見となったわけで。
ちなみに前者については『のび太の恐竜(原作短編)』の「鼻でスパゲッティ」のくだりや『オオカミ一家』の「目でピーナッツ」のくだりでのオチがあるけれど。
それに派生して、かどうかはあやしい所だけど、『原料ライト』の巻では、はじめ何かを頼もうとしたときににべもなく「だめ」と言い返すばかりで、『四次元くずかご』の巻ではそのくずかごをみつけたのび太くんを見るや、なにも理由を聞かずにとっととどこかへ行ってしまった。
たしかにこういうのはこれら2話が代表だけど、このように最初から責任放棄のようになってしまったのはいただけない。前者は理由を聞いてから協力して調べて回ったけど、後者は結局のび太くんがいらぬ苦労をして最後にはドラえもんにも事実上意地悪をされてしまった。
それは80年代になって問題に対するのび太くん自身の責任を問いがちになり、いつしかその責任を前に出すのが専らになってしまった。その一環がいわゆるくずかごの巻に至ったといったところで。
さてナンクセはここまでとして一方で良い形でまとまったお話についての代表を述べたい。
『世界の昆虫を集めよう』
この日もスネ夫が世界の虫の標本を自慢するので、何とかドラえもんに頼もうとするも、やはり突っぱねられてしまい、結局自分の力で何とかしようと飛び出してしまう、そこでドラえもんも少し冷たすぎたかなと反省し、ましてジャイアンたちにいじめられるのも何なので、結局は世界の虫を観察するための『昆虫マーカー』と『観察虫かご』を出して協力することにしたそうな。
ということで、一旦は突っぱねるも、ある程度のいきさつを経て結局は助けることにするという、目的によっては前言を翻して協力する。これもいつもながらイヤらしい表現で言えば「苦労したご褒美」という言わせてもらえば多少あざといところもあるけれど。
ともかくもこのように正論と人情を内包したお話こそがドラえもんのお話として支持されているなということになるけれど。

 

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