ドラえもん

のび太のおとぎ話:桃太郎<本当は怖いドラえもん>

さて今回は、ドラえもんと桃太郎とのかかわりについて述べたい。

そもそも桃太郎は、桃から生まれた子供がすくすくと育ち、世を脅かす鬼の噂を聞きつけ、行ってこらしめようと旅立ち途中出会ったイヌ、サル、キジを従えて鬼ヶ島に巣食う鬼たちをこらしめたといったお話であった。

それがドラえもんとのお話でどうかかわっていたのか。

まずひみつ道具の中から、先に述べた昔ばなしの役になりきる『おはなしバッジ』にては鬼役のジャイアンを桃太郎役ののび太くんがこらしめるといった具合で、

『桃太郎印のきびだんご』は食べさせた相手を手なずける。それが『のび太の恐竜』をはじめ数多くの大長編で活躍したことは述べるまでもないけれど。

そしてここからが本題『ぼく、桃太郎のなんなのさ』については桃太郎のお話の成り立ちについてこれまた先に述べた浦島太郎とともに、ドラえもんのお話の上でその謎を解き明かそうといったお話だった。

まずこのお話については、当時連載中だった『バケルくん』とのコラボレーションで創られたお話で、のび太くんとドラえもん、そしてバケル君が桃太郎一行に扮して活躍するものだった。

それがかつての映画公開と相成り、その際にドラえもんのみでのお話の流れとなる。その映画を元に新アニメ版にてお話を絞って放映されたのは記憶に新しい

と、前置きが長くなったことで、ここらで本編のお話を軽くご紹介したい。

夏休みのある日、のび太くんが宿題のためにドラえもんに借りた『時間カメラ』で昔のことを調べるととある写真に目が付く。それはあたかも桃太郎がお宝を手に入れて帰る様だったのだ。同じくとある外人の話を元にカワル君(バケル君)を交えて件の写真の手がかりを求めて昔の世界へと旅立つ。

その昔の世界のとある村にたどり着き、村を荒らす鬼の噂を聞いて、ひとつ対することとなったが。それはその前に流れ着いた異国人で、調べれば先の外人の先祖だという。

結局あの写真の主は自分たちだと気が付き、複雑な思いとともに現代へと帰っていくのだったそうな。

 

以上がお話のあらましで、原作ではバケル君の人形で動物に変身したものだったが、その変身の要素は、動物変身ビスケットにてしずかちゃんたちが担う形となり、桃太郎扮するのび太くんとともに鬼退治に向かうといったところ。

その他いろいろ狙った演出もあったが、ひとまずお話としてはうまくこじつけられた。

こうして桃太郎のお話はマンガの中ではドラえもんたちによってなされたといったことで。これもまた現代のささやかなおとぎ話ともいえるだろう。

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のび太のおとぎ話:浦島太郎<本当は怖いドラえもん>

さて今回は先のかぐや姫のお話に引き続き、浦島太郎のお話とのかかわりを軽めながらも述べたい。

浦島太郎といえば、漁師の浦島太郎が浜辺でいじめられた亀を助け、お礼に海の底の竜宮城で大層なもてなしを受けて、帰ったころには数百年の月日が流れ、お土産の玉手箱で老人になってしまったといったお話だった。

さてドラえもんでその浦島太郎を扱うお話といえば、

『おはなしバッジ』

『うらしまキャンディー』

そして『竜宮城の八日間』ついでに『のび太のシンデレラ』

の4本である。

まず『おはなしバッジ』と『うらしまキャンディー』のお話については、浦島太郎のお話にかこつけての「現実での恩返しのお話」といったところで直接浦島太郎のお話とのかかわりはそう大きくない。

対してかかわりが大きいお話といえば、後者のこの2本だろう。

『竜宮城の八日間』

とあるSFドラマからヒントを経て浦島太郎のお話をについて調べようとしたところ、実在の人物と判明した。それを調べんと浦島を追って竜宮城へと向かうのだが、そこでスパイに間違えられ投獄されるも後に釈放される。もともとは古代人の末裔で世界の情勢に巻き込まれないようにと今まで隠れ住んでいて。ドラえもんたちと別れるとともに再び歴史の闇に隠れるのだった。

このお話は冒頭の相対性理論とかこつけてひとまずの空想科学ものに仕立て上げられた。もっとも設定自体には多くの穴があったけれど、これがのちの海底鬼岩城のモチーフに相成ったことはご存じなところ。

ちなみに海底王国によって老人にさせられた浦島太郎はタイムふろしきによって若返り、もとの時代に送り返されたそうな(『のび太のシンデレラ』より)。

ちょっとお話の流れが違うので、こじつけともいえるけれど、このようにそれらが後の言い伝えによって浦島太郎のお話ができた、といったところか。

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のび太のおとぎ話:かぐや姫<本当は怖いドラえもん>

ドラえもんのお話の中で、日本の昔話、ことにおとぎ話を題材にしたお話は枚挙にいとまがない。その中で代表的なお話を数回に分けてお送りしたい。

まず今回は次回の映画『のび太の月面探査記』にちなんでかぐや姫のお話にちなんだお話についてお送りしたいと思います。

かぐや姫のお話は日本古典の『竹取物語』として、ある日老夫婦のもとに拾われた赤子が成長して天へと帰っていくお話なとしてご存じのはず。その場面が月夜の頃から、月に昇ったのだと伝えられたこともひとまずのウンチクともいえる。

そういえばその『かぐや姫』を題材にしたお話は昔コロコロで当時のストーリー募集で読者の人が考えて頂いたこともあったけど、諸般の事情もあり紹介だけとさせていただきます。

その代わりこのお話をば、これも都合上原作のコミック版の要点のみで。

『かぐやロボット』

いつも通り間違いで送られた『かぐやロボット』なる道具を成り行きのび太くんが一人の女の子を生み出した。しばらく面倒を見ようとするも、偶然出合った身よりのない裕福な一人の老人に引き取られていったそうな。

 

今回は要点のみで恐縮ながらも、このお話はかつての短編『恋人製造法』と展開は似ているかなといったところで。あとはちょっと強引なところはあれ、最後満月に例えられた老人の頭にちなんで、ひとまずかぐや姫のオマージュ(大まかに言ってたとえ話)にはなっているだろう。

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ドラえもんとゆかいな仲間たち:藤子・F・不二雄ののヒヤッとするおはなし(後編)<本当は怖いドラえもん>

さて前回、WEBにおいて展開された短編連載を通じてどこか背筋が冷えそうなお話、いわゆるヒヤッとするおはなしについて、

その前の怖い話と同じように確かに怖い思いをするけれど、読み終えればどこかこっけいな感を禁じ得なかった。しかし中にはシャレにならないお話もあるけれど。

そこで今回残りの3本、

のび太が消えちゃう?(ドラえもん)

消されてたまるか(TPぼん)

自分会議(短編)

について、それらについてはいずれも「タイムパラドックスにおける自己喪失」がテーマとなったお話だけれど。

まずぼんのお話はその後のドタバタをはじめ紆余曲折の末TPに入隊するいきさつとなったといったところでひとまずの紹介とさせて頂くけれど。

続いてドラえもんのお話について詳しく述べるには、若い頃のパパがお金持ちのお嬢さんと結婚させられて、生まれた子供がのび太くん以外の子供となるかもしれないといったところが正確なあらすじか。それならセワシ君の場合はどうか、これも親と子、親と孫の孫といった遺伝関係の影響の違いというのがひとまずの結論だろうが。

さておきお話の顛末は、結局パパがお金持ちの家との縁談を断り、その後で若いころのママと出会ったいきさつでしめられたといったのがこのお話で。ひとまずは軽くヒヤッとするけれど結局は丸く収まったというのがひとまずの結論だろう。

 

そしてもう一つ『自分会議』について、これは一人の青年が子供時代に数人の大人の言い争いに巻き込まれる記憶をもち、それが大人の頃の自分だと知りつつどうせなら子供の頃の自分の意見を聞きたいと連れ出すも、その子供も大人たちが未来の自分と知り、絶望して身を投げるといったお話だった。これも子供の身投げの後での空の部屋から、パラドックスによる自己喪失と言いたいところだが、

これを深く読めば当初の青年の記憶について、たとえ子供の認識の変化がわずかな歴史の改変がなされたとしても、結局青年の記憶に帰結してしまう。もっと言ってしまえば子供の件で青年の記憶が活かされ、未来の自分が消滅して、残された青年がより良い自分にならんとするか否かが物語における今後の課題といったところか。

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映画ドラえもん、ですか2019(たぶんその1)

さてみなさん、来春公開予定の映画ドラえもん。その情報が先週からネット上でも流れる、先日そのタイトルも『のび太の月面探査記』に決定いたしました。

今回のテーマについてはまず先日ののカウントダウンにてのび太くん、しずかちゃん、そしてジャイアン、スネ夫らが信じるものを述べる様が流れ、その際胸に付けられたバッジ。それをもとに月の世界を冒険する運びとなることが期待されることでしょう。

はたして来年はどのようなふしぎが、そしてユメが繰り広げられることか。これもそれらに想いを致すのも楽しみにしたいものですね。

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おためし紀行・THEドラえもん展(松坂屋美術館)

さてみなさん、今回のおためし紀行は、前々から話題のドラえもん展について、松坂屋美術館を訪れることと相成りました。
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館内入口においては、ドラえもん2体が出迎え、いよいよ展内へ、
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展示された作品は当然のごとくドラえもんにまつわるものばかり。楽しいものから美術的価値ありな作品もちらほら、中には哲学的なものも。これらをこのブログでお送りするのは申し訳ないものですがやはり不可能なことで、
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できることならばみなさまも足をお運びください、と申し上げる次第ですが。
このドラえもん展を機に、編者もいつか川崎の藤子・F・不二雄美術館を訪れようかと期待をしているものですが。

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新・忍者の科学:ドラえもんの場合<本当は怖いドラえもん>

さて今回は忍者とドラえもんとがどう絡んでいるかを述べる前に、あらためて一昔前から現代にかけて忍者についてどう描かれたかを述べたい。

元来忍者の業は各種体術にはじまり、隠密活動の一環として自然物に隠遁する術が専らであった。それがさまざまな事情からある意味魔術や超能力まがいの術、いわゆる妖術に変化していしまった。

それについては時代劇の一環として山田風太郎先生のいわゆる伝奇ものの作品や、横山光輝先生の『仮面の忍者赤影』やら『伊賀の影丸』など、果ては白土三平先生のいわゆる『カムイ外伝』等の忍法ものの作品の影響があったことと編者なりに思っているのだけど。最近では岸本斉史センセイの『NARUTO』あるいは『BORUTO』でその醍醐味を味わえるということも明記したい。

さておきお話をドラえもんに戻して、こういったいわゆるファンタジー系の忍術というものは、一旦迷信だというレッテルを張られたモノを、そのレッテルを外してから「未来の世界での子供のお遊び」といった形で表現しているものだろう。

その未来のお遊びからスポーツの一環として忍者の業を活かしている。これは先に述べたパルクール等が現実に活きているけれど。

そんなわけで、ドラえもんのお話においてはいかに忍者について顕わされているか、

『ニンニン修行セット』

ある日、ハットリ君のマンガを読んだのび太くんは、自分も忍者のように活躍できたらと思って、ドラえもんに頼んで『ニンニン修行セット』なるものを、先にある巻物を出し間違えてからそれらを出したのだ。

水クモについてはボート感覚のつもりがスキーやスケート感覚で使用する故うまくいかなかったし、苗木やフンドシについては飛んだり駆けたりの修行の道具で、たしかに忍者の逸話から派生した道具だろうけれど、かえってのび太くんのダメさを前に出したものでもあった。もっともそれらは努力なしに安易に力を得ることについてのイマシメのためということで。

そんなこんなで修行がうまくいかず、ドラえもんとの口げんかをパパに仲裁され、その際忍者について聞かされてから、先に出し間違えた忍者ごっこの巻きもので、いろいろ遊んでいこうとしたが、まずガマガエルに化けてしずかちゃんに逃げられるは、姿を消してジャイアンに仕返しをしようとして、時間切れで返り討ちにされるはと散々な目にあったそうな。

結局中後期の風潮として、忍者について本来子供のお遊びを実際力を得ようとしてのとんち話に転んでしまいしっぺ返しのオチとなったのだのが実情ということだろう。

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ドラえもんとゆかいな仲間たち:藤子・F・不二雄のヒヤッとするおはなし(前編)<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回は先の藤子・F・不二雄の怖い話に引き続いて『藤子・F・不二雄のヒヤッとするおはなし』について簡単ながら述べたいと思います。とはいえ、今回の場合はいわゆるコンビニ文庫ではなくウェブコミックの形を取っていますが。

ともあれ軽く怖い想いをした後で、ある程度のこっけいさを覚えた作品ぞろい。

まず『ヒョンヒョロ』は前回も述べましたが、滑稽にお話を進めたかと思いきやたしかにラストでの空恐ろしさが感じられた。

『TMは絶対に』のお話はその発明自体の可不可はともかく、結局他愛もない事柄でうやむやになったといったところ。

『メフィスト惨歌』はとある男との契約を持ち掛けたアクマの現代社会の悲哀に組み込んだ悲喜劇を述べたお話ということで。

『流血鬼』は吸血鬼に支配された町で孤独に闘う少年の苦闘の末を描いたお話で、たしかに悪く言えばへそ曲がり、よく言えば逆転の発想といったところ。その後者の意見が後のバイオハザード等で活かされていのかなといった想いがしないでもない。

短編集からはひとまずこんなところで、お次はレギュラー作品にては、

 

『うまそうな三人(モジャ公)』は宇宙を冒険していくうちに宇宙人に食べられそうになるお話だけど、いわゆる食人の習慣がある者たちとの共存はできるのかというのもテーマにあげられるのだが。

『魔女・魔美?(エスパー魔美)』は超能力者であることがバラされそうになることについての危機を描いたもので、当時のヒーローの守秘性がベースとなっていて、その危機感がお話の味となっているけれど。

『冥府刀(キテレツ大百科)』は封印した発明品をもちいて異次元世界どころか本当の冥府(みたいな世界)に旅立っての悪戦苦闘というお話ということで。

 

そして我らがドラえもんのお話については、

『どくさいスイッチ』はイヤな奴がいなくなればと猜疑心(人を疑う心)ばかり膨らんで、おしまいにはみんな消してしまったという怖い思いをしたお話。

『未来世界の怪人』はジャイアンがひみつ道具で乱暴の限りを尽くしたその陰でとある悪者が暗躍(陰で何かを企んで行動)するというお話。

『しかしユーレイは出た!』は山寺でののび太くんの悪戦苦闘だけど、そこはドラえもんのお話ならではとも言えるだろうけれど。

『未来の町にただ一人』はたしかに町中でただ一人しかいないという怖さもあるけど、結局これも仲間外れネタやらある意味昭和50年代初頭のレジャー志向に対する皮肉も描かれているだろう。

 

とりあえずのラインナップについては一通り述べたものですが、残る3本については次回以降に譲るという形で詳しく述べることといたしましょう。

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新・いじめの流儀(その1)<本当は怖いドラえもん>

今回は先の記事をひとまず再編集してお送りいたします。

これまでのび太くんへのいじめに対してキャラごとシチュエーションごとに述べたものですが、今回そのいじめのやり方、いうなれば“流儀”についてひとつ述べたいと思う。

そのいじめの流儀について、ひと昔前に一般的に言えるかもしれない事項としては「いじめは遺恨を残さない」「いじめられても次の日には水に流す」というところか。ドラえもんのお話もこのような文句が述べられたきらいがあった気がするが。

そもそもいじめの流儀と述べたそれらはいわゆる“ケンカの流儀”にこそ当てはまるものだろう。しかし言ってしまえばケンカの流儀もはじめからないともいえることだろうし。

そのいじめに際しての仕返しについても『さようならドラえもん』や『とうめい人間目薬』の巻において「仕返しについても正面から堂々とやるものだ」という文句が作中に流れていく。たしかにそれ自体はごもっともだが、まずさようならの巻においては切羽詰まった事情というものがあり何とか食い下がったものの、いつもは結局のび太くんの力のみでは返り討ちが関の山である。それをひみつ道具の力を借りてひとまず切り抜けられたのがお話の流れで、それらに痛快さを感じる読者の方もおられたことだろう。ところが様々ないきさつを経て前者の2話から次第に「ひみつ道具に頼るな」といった風潮も出てきたきらいがあり、結局はやられっぱなしに陥ったお話がしばしば表わされてしまう。そこでこれらが表されはじめたこの2本について軽めに述べたい。

 

『自動ぶんなぐりガス』

ここ最近ジャイアンのいじめに対してはさらにやり返されるの繰り返しに自動ぶんなぐりガスを出してそこらの電柱にガスをかけ、ジャイアンを懲らしめようとして、ひとまずうまく言ったものの、最後には自分が電柱に頭を打ち付け続ける羽目になったそうな。

『しかえし伝票』

ある日偶然送られたしかえし伝票なる道具でジャイアンに日頃仕返ししようとし、これは卑怯だと言うドラえもんの制止を聞かず乗り出すも、様々な邪魔が入って結局返り討ちになってしまったそうな。

 

これらいじめについてひみつ道具の力を借りて対処せんとするも結局返り討ちとなったお話でもある。しかしこれも先の『コンチュー丹』のお話のようなズッコケオチを描いたつもりだろうけれど、ともかくその仕返しが成功せず、かえってズッコケのダメージが大きかったので返り討ちの形になったのだ。

先のとうめい人間目薬の巻にて、何事も物事を成し遂げるにはいくらかの苦労をしなければならないという理屈はごもっともだけど、これもあえていやらしく述べるなら「血を流さなければいけない」ということでもある。たしかに後期のお話の大半は「血を流す」といったイメージがついていった感もないでもない。

それでもこれらはオバQばりのズッコケ話を描こうといった意図はなのは認めるところ。でも考えてほしい、オバQの場合はQちゃんや正ちゃんがズッコケて照れ笑いをするのに対し、後期ののび太くんはズッコケては打ちのめされ、見苦しく悔し泣きをする。どちらが面白く、どちらがみっともなく見苦しいのか。それを鑑みてもやはり昔と変わったと思わざるを得ない。ましてやわざとのび太くんに悪いことをさせてお話を進めることもしばしば描かれるようでは教訓話の意味すらないのではないのか。

結局はただお話を描くのに専念しすぎた結果これらのお話に流れちゃったのがいつも通りの結論というわけなのだが。

そういえばのび太くんの紹介にて「どんなにひどい目にあってもこりないしたたかな所がある」というくだりがあるがやはり誤解だろう。

なぜなら、ドラえもんのお話をはじめ多くのギャグマンガは基本一話完結で、次のお話でリセットしていくのが普通である。それがのび太くんにとっては災難に巻き込まれるお話が続けば自然とこういった印象がついてくるし、とはいえF先生もその気になったのだろうか、のび太くん自身ちょっと鍛えられたかなと言わせているのだけど。

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新・忍者の科学~忍者ハットリくんの場合<本当は怖いドラえもん>

さてみなさん、今回は以前からのラインナップより、忍者の科学についてあらためて述べたく思います。今までが書きなぐりのレベルだったのをより読みやすく分かりやすい記事をお送りする運びです。でもその前に、藤子F先生の盟友たる藤子A先生の名作『忍者ハットリくん』について軽く語りたいと思います。それでは、ごゆっくり。

 

ドラえもんに親しんだ初期の子供世代、すなわち今の4、50代の大人世代のみなさまの中には、忍者ごっこと称して空地や野山を駆け巡ったり、木の棒などでのチャンバラごっこやら、折り紙などの手裏剣の投げ合いに興じた方もおられたことだろう。

まずはそんな忍者についてウンチクながらも述べたいと思う。

そもそも忍者とは戦国時代において間謀をはじめ各種工作等をおもな役目を負っていて、各大名の軍略に貢献した。

江戸時代においてもいわゆる「御庭番」やら「隠密」として各地の動向を探り江戸の治安維持に力を注いだことは時代劇を中心に描かれていた。

明治以降になると忍者の存在は消え失せたかに見えたが、戦後時代劇の人気とともに忍者の存在も今に至る多少のミソがついたものの再び脚光を浴びるようになる。そして現在に至り、忍者から派生した武術も存在しているし、たとえば自衛隊のレンジャー部隊はある意味現代の忍者ともいえ、海外では建物の壁などを軽々と駆け上る行為をスポーツ化した“パルクール”なる競技ももあり、やはり日本の忍者の体術を彷彿としている。

さておき当時のいわゆる忍者ブームについて同じくマンガ化された作品が、我らがF先生の盟友藤子A先生こと安孫子先生の『忍者ハットリくん』である。

 

(当時の)現代の日本に突如として現れた忍者の子供、かの伊賀忍者服部半蔵の子孫、ハットリ・カンゾウは弟のシンゾウ、忍犬の獅子丸とともに修行のために三葉ケンイチの家に居候することとなった。それからケンイチの仲間たちとのお遊びに付き合ったり、同じく修行のためケンイチの町にたどり着いた甲賀忍者のケムマキと張り合ったりと、当時F先生とコンビを組んでの作品なだけに、怪物くんと同じくドラえもんやオバQと同じテイストで創られたものでもあった。

そんなハットリくんが得意とするのは伊賀忍法なのだが、投げる手裏剣はほぼ百発百中なのはもとより、壁や天井を自由に歩き回れたり、果てはある程度の催眠術やらと、これら今でいえば超能力にも近いそれらの力でケンイチたちを引っ掻き回していく。たしかに当時は忍者といえば伝奇ものから派生した超人的な存在でもあるけれど。それから現代人の感覚から言えば時代錯誤的な要素もあり、それがある程度のキャラクター性を醸し出しているのまた事実。

そんなハットリくんもテレビ放映で好評を博したのご存知の通り、ドラえもん同様劇場版も幾度か公開された。その際にF先生のパーマンとも共演し大活躍をした。これもまたコンビの強みであったかなとも述べておきたいけれど、まあそれはさておき。

そして今、何とインドで新作のアニメ版が放映され、それが日本にも逆輸入されてこれまたひとかどの人気を博していった。やはりインドの日本観はともかく現代日本でも受け入れられる背景があったのだろう。

ともかくも、さしあたってのハットリくんの紹介はこんなとところだけれど、さて我らがドラえもんのお話にて忍者についてどう語られているのだろうか。それについてはまた次回まで。

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