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ドラえもんとゆかいな仲間たち:藤子・F・不二雄ののヒヤッとするおはなし(後編)<本当は怖いドラえもん>

さて前回、WEBにおいて展開された短編連載を通じてどこか背筋が冷えそうなお話、いわゆるヒヤッとするおはなしについて、

その前の怖い話と同じように確かに怖い思いをするけれど、読み終えればどこかこっけいな感を禁じ得なかった。しかし中にはシャレにならないお話もあるけれど。

そこで今回残りの3本、

のび太が消えちゃう?(ドラえもん)

消されてたまるか(TPぼん)

自分会議(短編)

について、それらについてはいずれも「タイムパラドックスにおける自己喪失」がテーマとなったお話だけれど。

まずぼんのお話はその後のドタバタをはじめ紆余曲折の末TPに入隊するいきさつとなったといったところでひとまずの紹介とさせて頂くけれど。

続いてドラえもんのお話について詳しく述べるには、若い頃のパパがお金持ちのお嬢さんと結婚させられて、生まれた子供がのび太くん以外の子供となるかもしれないといったところが正確なあらすじか。それならセワシ君の場合はどうか、これも親と子、親と孫の孫といった遺伝関係の影響の違いというのがひとまずの結論だろうが。

さておきお話の顛末は、結局パパがお金持ちの家との縁談を断り、その後で若いころのママと出会ったいきさつでしめられたといったのがこのお話で。ひとまずは軽くヒヤッとするけれど結局は丸く収まったというのがひとまずの結論だろう。

 

そしてもう一つ『自分会議』について、これは一人の青年が子供時代に数人の大人の言い争いに巻き込まれる記憶をもち、それが大人の頃の自分だと知りつつどうせなら子供の頃の自分の意見を聞きたいと連れ出すも、その子供も大人たちが未来の自分と知り、絶望して身を投げるといったお話だった。これも子供の身投げの後での空の部屋から、パラドックスによる自己喪失と言いたいところだが、

これを深く読めば当初の青年の記憶について、たとえ子供の認識の変化がわずかな歴史の改変がなされたとしても、結局青年の記憶に帰結してしまう。もっと言ってしまえば子供の件で青年の記憶が活かされ、未来の自分が消滅して、残された青年がより良い自分にならんとするか否かが物語における今後の課題といったところか。

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