新・いじめの流儀(その1)<本当は怖いドラえもん>
今回は先の記事をひとまず再編集してお送りいたします。
これまでのび太くんへのいじめに対してキャラごとシチュエーションごとに述べたものですが、今回そのいじめのやり方、いうなれば“流儀”についてひとつ述べたいと思う。
そのいじめの流儀について、ひと昔前に一般的に言えるかもしれない事項としては「いじめは遺恨を残さない」「いじめられても次の日には水に流す」というところか。ドラえもんのお話もこのような文句が述べられたきらいがあった気がするが。
そもそもいじめの流儀と述べたそれらはいわゆる“ケンカの流儀”にこそ当てはまるものだろう。しかし言ってしまえばケンカの流儀もはじめからないともいえることだろうし。
そのいじめに際しての仕返しについても『さようならドラえもん』や『とうめい人間目薬』の巻において「仕返しについても正面から堂々とやるものだ」という文句が作中に流れていく。たしかにそれ自体はごもっともだが、まずさようならの巻においては切羽詰まった事情というものがあり何とか食い下がったものの、いつもは結局のび太くんの力のみでは返り討ちが関の山である。それをひみつ道具の力を借りてひとまず切り抜けられたのがお話の流れで、それらに痛快さを感じる読者の方もおられたことだろう。ところが様々ないきさつを経て前者の2話から次第に「ひみつ道具に頼るな」といった風潮も出てきたきらいがあり、結局はやられっぱなしに陥ったお話がしばしば表わされてしまう。そこでこれらが表されはじめたこの2本について軽めに述べたい。
『自動ぶんなぐりガス』
ここ最近ジャイアンのいじめに対してはさらにやり返されるの繰り返しに自動ぶんなぐりガスを出してそこらの電柱にガスをかけ、ジャイアンを懲らしめようとして、ひとまずうまく言ったものの、最後には自分が電柱に頭を打ち付け続ける羽目になったそうな。
『しかえし伝票』
ある日偶然送られたしかえし伝票なる道具でジャイアンに日頃仕返ししようとし、これは卑怯だと言うドラえもんの制止を聞かず乗り出すも、様々な邪魔が入って結局返り討ちになってしまったそうな。
これらいじめについてひみつ道具の力を借りて対処せんとするも結局返り討ちとなったお話でもある。しかしこれも先の『コンチュー丹』のお話のようなズッコケオチを描いたつもりだろうけれど、ともかくその仕返しが成功せず、かえってズッコケのダメージが大きかったので返り討ちの形になったのだ。
先のとうめい人間目薬の巻にて、何事も物事を成し遂げるにはいくらかの苦労をしなければならないという理屈はごもっともだけど、これもあえていやらしく述べるなら「血を流さなければいけない」ということでもある。たしかに後期のお話の大半はわざわざのび太くんが「血を流す」シチュエーションが露骨だったかもしれない。
それでもこれらはオバQばりのズッコケ話を描こうといった意図はなのは認めるところ。でも考えてほしい、オバQの場合はQちゃんや正ちゃんがズッコケて照れ笑いをするのに対し、後期ののび太くんはズッコケては打ちのめされ、見苦しく悔し泣きをする。どちらが面白く、どちらがみっともなく見苦しいのか。それを鑑みてもやはり昔と変わったと思わざるを得ない。ましてやわざとのび太くんに悪いことをさせてお話を進めることもしばしば描かれるようでは教訓話の意味すらないのではないのか。
結局はただお話を描くのに専念しすぎた結果これらのお話に流れちゃったのがいつも通りの結論というわけなのだが。
そういえばのび太くんの紹介にて「どんなにひどい目にあってもこりないしたたかな所がある」というくだりがあるがやはり誤解だろう。
なぜなら、ドラえもんのお話をはじめ多くのギャグマンガは基本一話完結で、次のお話でリセットしていくのが普通である。それがのび太くんにとっては災難に巻き込まれるお話が続けば自然とこういった印象がついてくるし、とはいえF先生もその気になったのだろうか、のび太くん自身ちょっと鍛えられたかなと言わせているのだけど。
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