落語の落伍<本当は怖いドラえもん>
最近になってとあるテレビ番組で、藤子F先生がマンガを描くにあたって落語のカセットテープを聴きながら描いていたと聞き、編者もとある想いが頭に浮かんだ。
これは落語に関わる人にとってはとんでもない冒涜に受け止められるかもしれないけれど、そのことを承知の上でご覧いただければ幸いに思います。
たしかにドラえもんのお話の中には落語をもとに話が流れているものもある。その落語、ことに古典落語や最近の近代落語を問わず、ある程度のとんち話などはそうそううなずける。とはいえ中には皮肉交じりのお話だってある。さらには冒頭提議された問題が、努力のかいなく最初の状態に逆戻りというのも落語のお話ならではか。結局は好みの問題だけれど、どうもそれらのお話を聞いているうちに、土壇場のズッコケオチやら七転八倒の挙げ句やられっぱなしのオチにつながってしまう。
たしかにとんち話にしても、おもしろおかしく語った上で楽しい気分でためになれば何も言うことはない。
それがいわゆる“しっぺ返し”については致し方がないとしても、一方的にやっつけられるのみでは大局的には面白くはなく、それに教訓の要素も交えてもためになるどころか逆に疑念さえも感じるかもしれない。
このように次第にキビしいお話が増えていくうえで、F先生も本来笑って浮き世の憂さを晴らし、楽しい気分にさせるはずの落語ですら楽しめなくなったのかと、この章でも感じてしまった。
その事情から、笑いから覚めればむなしく感じるから、現実で(もうちょっと)がんばろうというのももっともだけど、それ以前のがんばれない、というよりがんばりきれない状態に陥っているのがやはり問題ではなかろうか。
今の困難な現状を打破、そこまでいかないまでも少しは楽な状況を目指すためにも、やはりがんばるきっかけがあった方がいいというのも本来F先生も分かっていたはずなのだから。
そんな落語が現代でも庶民の娯楽たりえ、若い人の中にも落語家を志す人だっている。中にはドラえもんのお話を落語に取り入れる、いわゆる”ドラ落語“だってある。
そこでドラえもんと落語の結びつきが深くなったことを踏まえ、ドラえもんを通じて本当の落語の面白さ、ひいてはただやっつけられたり卑屈におちいったりしないで、日々生活していく中で本当に役に立つものは何かを落語を通じて考えていくのもいいかもしれない。
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