苦労の大安入りでよかろうか?<本当は怖いドラえもん>
「若い頃の苦労は買ってでもしろだって、売ってやるから来い!(村上ジョージ)」
さて今回は、ドラえもんでの“苦労”にまつわるお話全般について。結論からいえば「苦労そのものはしたほうがいい」とした上で編者個人の意見として「苦労する本人のこれからの力となれば」といったところになる。
その根幹はひとえに『くろうみそ』の巻においてパパのお説教にはじまり、最後自ら進んで苦労を買って出る。その後のパパの人となりは一貫しないものの、ドラえもんのお話全編においてのコンセプトの一つとしてはひとまず一貫してはいる。これも藤子F先生の生きた子供時代。戦中戦後の苦しい時代を鑑みれば分かることだろう。
話を先の結論に戻して、まず後者の意見を抜かしてランボウにいえば「何でもいいからとにかく苦労をしろ」とも読めてくるかもしれない。まず初期のスラップスティック、たとえば『百苦タイマー』などはまだいいけれど、中後期の教訓混じりのとんち話や、最後期の自虐的なお話になると、苦労の本当の意味を見失っていると受け止められる。それは言い過ぎを承知で「制作コンセプトの変節」ともいえる。
それは苦労をしたて目的を果たした上でズッコケるというシチュエーション、たとえば『強~いイシ』の巻でイシに小突かれつつも何とか目的を達成したが手違いによって余計な悪戦苦闘したこともある。これは傍目から見れば単なるズッコケと受け止めてもいいけれど、中後期になって「しつけの名目」でただやられっぱなしに終わるというシチュエーションとも受け止められる。結局はさんざんイシに小突かれまくったあげく、最後ヘコんでしまいドラえもんもあきれてしまったそうな。
何かをやり遂げた達成感に水を差す形となり興ざめとなったのび太くんの気持ちも当然理解できる。苦労や努力はやりとげることに意義があるものだから。
その反面苦労や努力に見返りを求めちゃいけないことももっともだ。とはいえ昨今、厳密にいえば高度経済成長期を経た80年代生まれの人々は見返りがあって当たり前と子供心に思っていたかもしれない。
本来「何をしてもダメなやつ」なのび太くんでもあきらめないで生きていく様に共感を覚えていいはずだけど、それがだんだんダメな結果ばかりにとらわれ、はたして若い読者からは「努力しても報われない」と思うようになって「努力するのはばからしい」と決めつけてしまい、本来の努力することの意味を見失ってしまった感さえもある。つまりはF先生の説明不足によるものも否めない。
せめて「自分なりにもうちょっとがんばってみよう」など、こういったちょっとばかりの成長、実際先生も『ドラえもんに休日を』や『ドラえもんが重病に』などのお話を描いていたはずだから。これこそがささやかな、そして大いなる見返りといえるだろうか。
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