序章・人間藤本弘の死、漫画家藤子・F・不二夫の死<本当は怖いドラえもん>
さてドラえもんのお話というのは、“すこしふしぎな”出来事でのび太くんたちを通じて子供のユメをかなえてくれるものだというのは編者がとやかく述べるまでもないことだろうけれど、ある日そのユメをかなえることができなくなった、言い換えれば「ユメを描ききることができなくなった」時期がある。
それを表したのが先の『のぞみ実現機』や次回以降に述べる『絶ち物願かけ神社』のお話である。
もっとも、原作最後期のお話の中にはある程度いいお話もあることもまずはおことわりしたうえで、一方でこれらひどいお話の最たるものもあることを、ここにご了承していただきたいということで、今から述べることといたしましょう。
『やりすぎ!のぞみ実現機』
その日もスネ夫の北海道旅行の自慢話を聞かされ、その後でジャイアンに八つ当たりでいじめられ、その前にはテストのことで先生に叱られていた。
そこでドラえもん何とかしてもらおうとするが、ドラえもんは何やら機械を調整していた。それは『のぞみ実現機』といってこの機械でいろいろ望みをかなえようとする道具なのだが。
~まずはこの道具そのものの骨子から「何でものぞみをかなえるには自分もそれなりに努力をしなければいけない」というくだりが浮かんでくる。それについては原作全話を通じて一貫して正しいことだけど。
さておきこのお話に関して述べるに、この道具もいろいろ望みをかなえようとしてかえって悪い結果じまいになる。たとえばドラ焼きが食べたいといってドラミちゃんが巨大なドラ焼きを持ってくるは(ドラえもんがそれを完食せんとして何故かおなかが大きくなって動けなくなった)、ジャイアンに仕返ししようとしてそのジャイアンが車にはねられそうにさせるわ(ちなみにそれを止めようとしてかえってとっちめられてしまった)、北海道に行きたいといってパパが北海道に転勤させられそうになるわ、しまいにはテストを受けたくないといって学校が地震でつぶれそうになるはと、結局この道具そのものが言ってしまえば“欠陥品”みたいなものということと、さらには“融通”が絡んでしまうお話ということで。言ってしまえば最後期のお話の特徴として道具そのものでひどい目にあうという、いわば負けることを前提とした自虐話となってしまった。前期のお話ではひみつ道具を多少の努力と工夫でひとまずの望みを叶えたのが専らだというのに。
次にたびたび指摘しているジャイアンのいじめと前後しての先生の叱責ついて「学校に来るな」といってしまったくだり。これもまた今の視点ながらもジャイアンと同じレベル、つまりはいじめっ子レベルになった感もある。これについてはF先生もまあ大人と子供の違いということで気づかなかったのは致し方がないことだろうけれど。
さておきこのようにいろいろな望みをかなえようにもかえって融通の利かないお話について、そもそもまずジャイアンを懲らしめるなら多少イタズラ程度の道具でなんとかできるし、テストで0点を(あるいは叱られない程度の点数を)とらずにしたいなら正攻法ながら多少の努力で何とかなった。最後に北海道に旅行に行きたければどこでもドアがあるじゃないか、ということになるのが今までの流れなのだけれども。
以上のように手段を無視して“のぞみ”というあいまいさに振り回され、しかもことごとく失敗に終わり、挙句の果てに頼みのドラえもんですら動けずじまいで頼れなくなってしまったのだ。
これは言い換えれば「その当時にもはや自らの“のぞみ”をかなえることと描ききるができなくなった」藤子F先生の思わず発した心の叫びとも受け止められるかもしれない。
ということで次回の『絶ち物願かけ神社』の紹介と今回の結論を含めての本題は少し明けて取り掛かります。
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