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モノ社会の宿業~安かろう、悪かろうでよかろうか<本当は怖いドラえもん>

今回のテーマは一昔前の「安かろう、悪かろう」という品質と価格の関係についてを絡めて述べたいと思う。
まず時折スネ夫が家族でどこかのレジャーを楽しんだと自慢していたところを、実際見てみれば、別荘や乗り物を借りるにしても安物、しかも粗悪品を借りて、かえってレジャーどころではなかったといった事態に陥っていたのだ。確かにスネ夫の家の場合はケチで見栄っ張りというのがあるから、それを笑い飛ばそうという意図が見受けられるけれど。
もう一つ『ロボ子が愛してる』の巻にてあまり女の子の付き合いが悪いのび太くんに、ガールフレンドロボットとしてロボ子をあてがったのだが、これはバカ力で人格に問題ありという、これまた借り賃は安いだけの粗悪品であったのだ。
これらに見られるそもそもの事情は、昭和30年代以前の戦後復興のモノが少ない時代、人々もそれなりに生活をしてきた。そういう意味でもある程度の品質の低さでも多少の労力でいかようにも使えていたのだ。つまりは「ないよりマシ」で「あれば助かる」程度の認識が基本である。さらには『ドラえもんのひみつ道具≒現代社会における便利なもの』に対する『安物の粗悪品』という、つまりは現代のモノ社会に対する警鐘といった要素もあるだろう。
その意味でも、昭和50年後半から今にいたってモノの豊かになり、ある程度生活の便利さも得られた中、貧しく不便でもしっかりと生きられた時代を思い起こしていこう、といったところか。
それについてもヒネくれつつ苦言を呈したいと思い込みつつ述べるならば、戦後からの高度経済成長は、今よりも良い暮らしを望みつつ努力して働いたものであった。確かに平成のバブル経済とその崩壊という帰結もあったけれど。
そんな中モノ作りにしてもよい品質とそれをいかに買い求めやすくするかを目指し努力もしたはずであった。それが安定した品質を確保した頃では、安物≒粗悪品といった論法も現在ではある程度通用はしないはずである(まあ舞台は昭和50年代が主流だけれど)。
ともかくもそれらを鑑みてある程度はあまりおカネをかけずに自分が満足する品質のモノを生活等のために使用してもしくはないとは思うけれど。

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