ギャグには“押し”も必要なのだけれど<本当は怖いドラえもん>
さて今回は、ドラえもんにおけるギャグマンガの要素たる“押し”について述べたい。
『オバケつづら』
ある日みんなでオバケ屋敷でのキモ試しに付き合うも、のび太くん一人だけ激しく腰を抜かしてみんなの笑い者になったので、何とか見返そうと未来の『オバケつづら』を出してもらう。
そこでのオバケたちはどんな手を使ってでも怖がらせるというトンでもない代物だった。
はたしてみんなを誘い、いろいろ怖がらせていったが、たまたま居合わせたママの一喝でオバケたちは退散してしまったそうな。
~このお話において、ツヅラのオバケたちは、どんなに痛めつけてでも怖がらせるといったシチュエーションなのだけど、ひとまずはこれを問題にしたい。
まず“怖い”という要素は、例えば近所の大人やら昔の学校の先生やらにしょっちゅう怒られたりすると、その人に対する苦手意識がつのって、それをもって“怖い”ということになるだろう。しかしながら、こういうのは本当の“怖さ”ではないのも述べておきたい。
とはいえ、はじめのインパクトから、その後何をされるかという不安から、オバケから逃げ回るはめになったのは展開的には正しいことだろうし、最後のママの一喝でオバケが退散してしまったのはママはオバケより“怖い”というたとえなのだろう。もちろんこれも先の理屈が当てはまることだろうけれども。
今一つ、これもナンクセでケチをつける形になるけれど、どんなに痛めつけてでも怖がらせるオバケ。その根底にはその当時の風潮(かどうかはしらないけれど)である「読者の襟首をつかんででも笑わせる」といったファクターがある。
もちろんこういうのもギャグマンガとしては有効なのだけれども、結局はこういうことは読者の自由意思で楽しみたい。ことドラえもんの場合は教訓交じりのとんち話が後期になってしばしばとなっているので、あえていうところのそういった後ろめたさも忘れてはならない。ましてや人気というのは読者やファンが“その気”にならなければ結局は虚しいものだから。
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