役周りの本末転倒~そもそものいきさつ<本当は怖いドラえもん>
さて今までに数多くのヒネくれたドラえもんのレビューをお送りしてきたが、ここにきて、今一度本記事の執筆へのいきさつを、本編の全体的な流れとともに述べたいと思う。
ドラえもんのお話のシチュエーションの一つに、ジャイアンたちのいじめに対抗するといったものが初期には専らだった。
そもそものジャイアンの役回りはガキ大将として近所の子供たちに権勢を、時折乱暴や横暴を振るい怖れられている、いわば『ポパイ』のブルートや『アンパンマン』のばいきんまんに近い存在だった。それをドラえもんとのび太くんが秘密道具でこらしめる、といったのが当初のお話の流れだった。
ところが年がたつにつれて、読者の幅とともにお話の幅も広がった。それについて何かしらの問題が起きてそれを解決したかと思ったら、その後の悪ノリでハメを外してズッコケる。もちろんこれはオバQ以来の伝統ズッコケオチでもあったのだ、その当時は。それはまだいいが、掲載されていた学習雑誌であるという出前、次第に教訓的要素のお話が大半を占めるようになる。
さらにはそれに乗じて、のび太くんが後半でのトラブルメーカーとなって最後にはみんなにとっちめられるといった悪い意味でのパターンが80年代半ばから確立された。
その結果どうなったかといえば、その後期になってジャイアンのいじめに対抗しようとしても仕返しが成立せず、かえってやられっぱなしのお話がもっぱらとなったり、勝てたとしてもある程度は痛み分けの形に転んでしまったり。
挙句一部読者の間では「ダメで悪い子」のイメージで見られるようになったとか。
つまりは何かの行動を起こすたびに周りに懲らしめられてやっつけられる。言ってしまえばのび太くんが本来ジャイアンの役回りだったブルートやばいきんまんの立場に転んでしまったのだ。
たしかにジャイアンや作者の藤子F先生から見ればひみつ道具に頼って自分たちをやっつけるのは卑怯だといった考えがあってのことだろうけれど、これはポパイのホウレン草やアンパンマンの新しい顔といったファクターでもあるのだが。それでもポパイももともと手練れの船乗りだし、アンパンマンも一応はスーパーヒーローたから、それに対してのび太くんは力がないので道具に頼りきってばかりだから、ということなのだろうか。加えて連載が続いてジャイアンにも情がわいてきたことも述べたい。それは他のキャラも同様なことだろう。しかしその反面のび太くんに対してはつらく当たっていきがちになり、それに合わせてドラえもんを作品的に理解している(ような)大人たちがもっともらしい理由を付けて責任の一切合切をのび太くんに押し付け、さらに追いつめていく。
そもそものび太くんのダメの要素というのはキャラクターとしての魅力でもあるはずだ。それをしつけや教訓のためにいましめて子供たちに努力の大切さを教えるのも正しいことでもある。しかしそれが次第にのび太くんをこらしめる、というよりやっつけることが目的になってしまったのはこれこそ本末転倒でもある。あと言ってしまえば「こらしめる」とは「やっつける」を丁寧かつお上品に述べたことに読めてしまう。あと藤子F先生もそれらの教訓話も結局は本位で創ったのではないと言明していることだし。
さておきこれらをかんがみて結局は考えさせられるお話はいいけれど、やはり痛快さに欠けるきらいがある。
その代わりの大長編がある程度のカタルシス(≒痛快さ)を感じられるけれど、編者個人としては物足りなさを感じていたのだ。
そこで幼いころから愛着のあるドラえもんを、編者なりにどうしてこのような自虐的な展開となったのかを調べ上げ、当ブログにて掲載し続け今に至ったというわけなのですが。
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