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のび太は悪い子?・改訂<本当は怖いドラえもん>

 結論からすれば、一概にはそうはいえないといったところ。まあマンガの演出上どうしても悪い子のように仕立て上げなければならない、ということかな。
ともかく、のび太くんのイタズラや悪事について、またそれを通して何が描かれたのか、いつもどおりヒネくれた視点で今回は考察したい。
まず、勉強をしない(できない)からママや先生に怒られる、ということから、勉強をしないので悪い子だ。というのは今となってはそうともいえないのが大半だろう。
 昔の高度成長期の残滓からきた事項の高学歴=高い地位や収入という法則も崩れて久しく、まあかといってゆとり教育の弊害も昨今あるので、この場合ママはまあよしとして先生の場合はある意味いじめっ子のレベルに堕しているのが実状だろう。
とまあこれはここまでとして、

次に道徳的視点から、たとえば道ばたにかんだガムのカスを吐き捨てたり空きカンを捨てたりと、まあある程度のマナー違反、まあ確かにやってしまって「しまった」というほどだからまだいいが。
あと一般生活において、そういえばのび太くんは本来いたずら好きな子とはじめ設定された覚えがあるけれど、まあたしかに秘密道具の便利さに羽目を外して最後にはひどい目に遭うオチがパターンになったのだのもこういう事情だったのだろうと考えられる。まあこれも愛嬌と受け止められるのだが。
 あと話と並行してジャイアンやスネ夫たちの悪事も描かれることもあるが。それらはほとんど無視される。問題にされるのはあくまでのび太くんの悪事で(まあほとんどイタズラ程度だけど)、
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 まあそれが高じて『ガールフレンドカタログ』の巻、最後のシーンにてあろうことかジャイアンとスネ夫に説教を垂れられるといった事態にまで及んだのを見て、ようやく幼心に気づいたのだ。

 それはひとえに読者の子供たちに対するメッセージ、まあいわゆる躾話ということで。
 もともとドラえもんはポケットから出す不思議な秘密道具で子供たちにユメを伝えるのが趣旨だったが、それに付随しての教訓も描かれることから、あと掲載された雑誌が学習雑誌という建前から次第にその教訓的要素が前に出がちになって(また純粋な漫画雑誌であったコロコロコミックも)、結果それらのお話が時折陳腐にも受け止められてしまう。
 そも子供たちにユメを与えるはずがいつの間にか躾と置き換えられてしまった。確かに子供には躾が必要なのは分かる。だからといってそのたびにしょっちゅう叱られ役ののび太くんにとってはやはりたまらないと弱音を吐きたくもなる。ましてジャイアンやスネ夫のいじめも“叱り”に置き換えるというのも悪ノリとも受け止められるだろうし、のび太くんも立つ瀬もないと思うのだが。
 結局はこういう形での“躾”というのは純粋な読者として必ずしも本意ではない。否、一番本意ではなかったのは本来はのび太くんを分身として世に送り出した藤子F先生だろう。
 いかにご自分から読者の子供たちに委ねたとはいえ、ご自身をある意味傷め続けたことには変わりはなかったのだから。

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