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無責任を常と思えば<本当は怖いドラえもん>

「不自由を常と思えば不足なし」という言葉を残したのはご存知徳川家康公だけれども。まあたしかにドラえもんの世界でも多少は押し付けがましいながらも、多くのお話にそれが当てはまる。ただもうひとつのファクターも併存していたのも明記したい。すなわち「無責任を常と思えば」である。

思うにドラえもんの物語としての基本理念(の一つ)は無責任の一言につきるだろう。
まあしかしながら一言で無責任といってもその根底は奥が深いものがある。
それはひとえに自己責任ということ。たとえば秘密道具を使っていくうちに最後にしっぺ返しを喰らうのは結局のび太くんの責任だということ。その際のドラえもんの「ぼく知~らない」という知らんぷりの態度に苦笑したことは皆さんの中にも一度ならずあったことだろう。

まあたしかに最後自業自得といわんばかりに知らんぷりを決め込み冷徹なまでに無責任を決め込むのも編者的にはじめのうちは少し引いた。まあそれでもこれが真理の一つということもやはり事実でもある。

それはいいけど、高じてのび太くんだけに責任を押し付けるのもどうか。たとえば『空で遊んじゃあぶないよ』と『ラジコンシミュレーターでぶっとばせ』にては、最後には両方とものび太くんが怪我をしておしまいということで、つまりは人災がゆえにだけれども、それをのび太くんの責任とみなしたり(後者は半分はそうだけど)。それから次のお話はちょっと詳しく述べたい。

『なぜか劇はメチャクチャに』
ある日、幼稚園の出しものとして劇を披露することになった。そこでいつものメンバーでドラえもんの「オートアクションプロンター」と「脚本カセット」を出してもらい、それで劇を演ずることになる、その際にドラえもんは幼稚園児向けということでのび太くんの頭をサンプリングすることにした。
ところがいざ演じてみたところ、どれもしずかちゃんが恥ずかしい思いをするものばかり。あげくにすべての責任をのび太くんに押し付けたそうな。
~確かにここまでくればやはりまずい。のび太くんのレベルに合わせたのも、最後の星の銀貨の件は結局ドラえもんの責任だろう。
それをこういうオチというのもまさに無責任という他はない。これも旧アニメ版ではそれについて修正を行ったけれども。

ともかくそういう脱線もあったけれども、結局は自己責任の大切さをある程度理解できれば、ドラえもんのお話の中での無責任の要素を受け入れられる、かもしれない。

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